レモンスターの感想です。

こんばんは。
やっとこさ東京から帰ってきました。

で、6日に見たお芝居ですが正直な感想を書きますと、分かりにくかった。
深く考えすぎたのかもしれません。
最初に殺陣のシーンから始まった時、ふと頭によぎった言葉がありました。
私自身言葉をあまり持ってないので、これ以上書くと誤解を招きそうだし、文章書くのが最近難しくて…。
前みたいにぽんぽん書けない(泣)

ふとした時に、ここでぶぉーーーっとかけたりするので、その時に書けたら書きたいな。

知り合いの、たっきいさんが感想を書いてくれましたのでここに掲載します。
以前も圭ちゃんがでた舞台「夏ノ夜ノ夢」のときにも解説していただき、なるほどぉおと思って千秋楽を見れましたので、今回も周りの方達のお願いもあり、急いで感想をお願いしました。


始まり始まり〜

  • レモンスター感想

いやぁ、濃かったです
消化するために引きずる舞台は久しぶりでした
舞台なんて正解なんてなく
観客が感じるままに帰ってくれればいいものなのですが
参考になればと思い、私の考察を書かせていただきます

まず名前がすごくしゃれている
主人公梶本次郎は「檸檬(レモン)」の作者梶井基次郎氏からとっているのだろう
彼の作品「闇の絵巻」には「(はだし)で薊(あざみ)を踏んづける」という一文もあるカジローの封印された悲しみの象徴である雪
そしてその雪の結晶である六花
時の流れを表現している小夜・夕子・時夫
村に関する漢字も持つ耕太(たがやす)・庄吉(しょうや)・里(村の一部)
感情を表す信夫(しんじる)・久義(ぎり)・良太(よい)・静(しずか)・清弘(きよい)・冨美(ゆたか)
意図されたものかどうかはわからないが、なかなか面白い
悲しみを村(=カジロー)から忘れさせるため村から逃げる弥太郎
ある意味彼の分身なのであろう

村はカジローの精神世界が創りあげたもの
彼が悲しみに向き合うことを避け心に閉まっておいたものの集合体
救世主は彼自身であり、彼自身が悲しみと向き合いそれを消化しなければならない
六花はおそらく彼が人間らしさを忘れ自分に向き合っていないことに気づき彼の元を去ったのだろう
そして六花は彼がそんな悲しみに負けないことも信じていたのだろう
六花は劇中で何度も言っている「こんな奴らには負けやしない!」
そうカジローの悲しみが創りあげた人間達に・・・

彼は自分自身の創りあげた村に封印をした
そうレモンスターで
それを解き放つタイミングを里は待っていたのだろう
そしてカジロー自身が救世主であることを伝える役目を担っている
あっさりと自分のことを思い出し始めたカジローに口を開いたのは
彼が自分自身に向き合い始めたからだと思われる

村の人々は彼の悲しい過去であり
忘れたい感情の群像

封印が解かれたあと狂ってしまうのは
彼自身が創りあげた感情のみである
彼の忘れたい感情を表現するために存在している村人は正気であった

そして雪の絶世の美女の件
おそらく絶望は本人にとってのどうしようもない絶望の果てであり
他人から見ればそうでもないことを表現しているのだと思う

雪が降らなくなったのは彼が自分の感情を封印したから
そして自分自身を偽って生きていたから
彼を信じている嫁が彼の元を去ることにより
彼は改めて自分の過去に向き合う準備を始める

そうして村に自分自身が迷い込み
自分自身で自分の感情を消化(殺戮)していったのだろう

村の救世主は六花ともカジロー自身ともとれるが
私はカジロー自身が乗り越えたと思いたい
六花は彼に対する信頼からその助けをしただけだと思う
だからきっと過去に向き合ったあとのカジローは
六花の原型である元嫁と向き合い前に進んだと思いたい

雪が舞った瞬間は、カジローが過去を消化し
自分の足で立った瞬間だと思う

そこで私は鳥肌が立った

もう雪が降ればその結晶(悲しみに気づかせてくれた元嫁の像)である六花はいらない
村は消滅しカジローの精神世界は混沌としたものから
カジローであるカジローになったというハッピーエンドである